天草のからゆきさん・与論島人・炭鉱夫・植民地朝鮮のひとびと。森崎和江はずっとずっと近代国家の生み出す「棄民」「流民」に執拗にこだわりつづけた。
--私は自分がそんな赤ん坊が大人になった姿であるように、
はっとさせられるときがあります。
乳児院の赤ん坊が、お互いに呼びかけるすべも、
また自分の名前も歴史もしらずに
街頭に散っているかのような、心細さを覚えるためです。
--棄てられた者の感覚はそう単純でもなく、その裏側には、別の世界が育ちます。
いうなれば棄民という実質に対する棄てられた棄国の感性です。
国家をのがれてコスモポリテイックになるというよりも根深く、
国家を捨てるような執念が育つ。 「異族の原基」 森崎和江
原発事故の<直後>、三月下旬には子供・児童に甲状腺の調査を行い、結果45%が被曝。その結果をIAEAに提出しておきながらも3カ月にわたって国内では公表しなかったという記事。また福島では、子供・妊婦に「線量計」を配布し、常時携帯させた上で、回収するという。この「線量計」はつけているものに、危険を知らせるものではなく、自身ではその「被曝量」が一切わからない仕組みになっている。
原子力と「隠蔽」はつきもの。この記事はかつて戦後アメリカが広島・長崎で原爆に関する調査をおこなうため、原爆投下後、即刻設置したABCC(=Atomic Bomb Casualty Commission)原爆傷害調査委員会を彷彿とさせる。ABCCは「被爆者」に対する調査を行う<のみ>で、「治療はいっさいなし」。集められたデータは、軍事機密扱いとされた。戦後版・731部隊ともいわれている。
今現在、すみやかな「避難」に着手せず児童・生徒への年間被曝上限を、20ミリシーベルト/年間に引き上げ(*この上限は原発労働者に適応されている5年間の上限100ミリシーベルトに匹敵する基準を、児童・生徒にあてはめたものだ。しかも飲食物などを経由する「内部被曝」はいっさい考慮にいれられていない)た上で、「逃がさない」「囲い込んでおく」というものだ。
そしてそれにおすみつきを与えてきた「福島県放射線健康リスク管理アドバイザー」をつとめ、「ただちに健康に影響はない」を繰り返してきた、山下俊一長崎県大学教授はABCCの流れを組む研究者でもある。広島・長崎を想起すべきなのは、原子力・隠蔽・データ収集という「隠蔽」が数十年経てもなお、2011年のいま、再現されているから。
いま、政府や文科省は、かつてアメリカが強いたように、みずから「自国」の、人々の「データ」収集を率先して行い、その「被曝」データ収集をIAEAや、原子力産業存続のためにと、せっせと後押ししている。
事実上の「棄民」政策。原子力には軍事利用であれエネルギー利用であれ、構造的に「棄民政策」が埋め込まれている。
だから、「子供を守れ/救え」、という謂、計測器で自ら放射線量を測り子供や自分を「汚染」から<守ろう><遠さけよう>とする母親そして、人々の奥底には、根深い、国家を見切る、捨て去る、という<すこやかな>執念が育っている。
いま、<異族>の原基が、そこ、かしこに。
*ABCC=Atomic Bomb Casualty Commissionについては
・「安全神話」 はだれが作ったのか ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ/高橋博子『現代思想2011.5号』
・『この世界の片隅で』 山代巴編 1965年 など。